( 市)ルネサンスへ<2015-0515-a
見えるもの。
人間は、自分にとって興味のあるものだけを見ようとしている。 興味のないものについては、見えていても、見ていないのである。 そして、この興味とは、見ている者にとっての、気まぐれや思いつき、 あるいは、何かの目的や衝動といった、純粋に偶然が支配している。 しかし、この偶然は社会全体からながめて見ると、必然なのであって、 その社会の条件や仕組み、方向性といったものが、 個人にとっての偶然として現れている。 個人の、衝動や興味といったこと自体が、全体としての、 その社会のシステムの要求に根ざしているのである。 個人にとっての願望や興味、 何かの必要や傾向といったものは、 社会という現実のなかで、初めて何かの意味を持つものとなる。 そしてまた、その現実の中でのみ、解決してゆくことができるのである。 社会との関係をまったく持たない、個人的な要求や願望、 興味といったものは、本来、なんの意味も持ち得ない。 いわばそれは、夢の中の世界なのである。 現実に対して、何の影響も与えることができず、 なんの解決も見いだし得ないからである。 社会との関係が切断されたところに、 どんな感情も思考も成り立たないからである。 考える本人のことばといったものが、 いかなる意味も持たなくなってしまうからである。 相手のいないところに思考は成り立たないのである。 たとえ、ひとり言であっても、 それは社会との関係のなかで自分を見ているのである。 |