(  市)ルネサンスへ<2015-0717-c



基本的な原理。


言葉(コトバ)は理屈であって、
それは実際の現実とは別のものである。
にもかかわらず、本当の現実を見ていると、
そう思えてくるのである。そう思わせてくれる。
そして実は、そう思い込むことに本当の目的がある。
現実は、どうでもよいことなのである。

そうした、空想と迷信の世界を生きている。
目的は、みんなと群れて序列化することにある。
そうである限り、安心なのだ。実は、それこそが目的なのである。
社会システムといったものが、序列の固定化、
無意識のカースト化に従い、成り立っている。

何もわかっていない、にもかかわらず、
わかっていると思わせてくれる。
わかっているかどうかは、どうでもよいことであって、
そんなことは誰も気にもしない。大事なことは、
わかっているというレッテルだけなのであって、
必要なのは、そうした外面だけなのである。
内面はむしろ無い方がよいのである。

だから、こうした人間からすると、本当によく知っている人間、
内面を持つ人間、自分の考えを持つ人間というのは、
ジャマであり、災いのタネなのである。ひとことでいって、
敵対的関係なのである。自分の存在を破壊する存在なのである。
あってはならない、社会の秩序を破壊する存在なのである。
だから、これは言ってはならないことなのであるが、
つまり、差別と排除こそが、日本の、
もっとも基本的な原理なのである。

 戻る。              
ルネサンスへ