( 市)ルネサンスへ<2015-0731-a 衝動、
めざめ。
昼間の閉じた目の中の、孤独以前のまぶしいだけの、 白と黒のマダラ模様から、目を少しづつ開いてゆくと初めて、 光が見えて来て、線や形も、そして色あざやかな色彩や、 光で照らされた外の情景があらわに見えてくる。 それらは本来、自分というのが生きている証明でもあり、 めざめ、自覚といったものなのである。 いろんな色。様々な形、そして明暗のコントラスト、 光とカゲ、そうしたことのすべて。豊かな諧調と 色彩の鮮やかさなどといった、目に見えるもののすべて。 そうしたことのすべてが、精神に落ち着きと安定や 安らぎを与えて、目にもここちよさを与えている。 そして、そうしたことのすべてが自然の状態なのであって、 生きているとは、このことなのである。 情緒的にも最も安定したデフォルトな状態、 初期的・標準的・基本的な状態なのである。 日当たりとカゲ、正面と背面、中と外、精神と肉体、 心の内面と外の現実、などといった現実を生きる指向性、 自分が生きている方向性といったものが、 いまだ自覚されてはいないが、無意識のうちに、 全体としてそれらにいだかれ、包まれている状態である。 ここちよく、おだやかで、優しげな情緒といったものである。 それは、自分が生きている、山や川、道や建物、 祭りやシキタリ、風や、暖かさ、冷たさといったものである。 人間の肉体や感覚、そして精神は、 それらは本来、連続した同一のものなのである。 そうした情緒の世界を、人間は生きているのであって、 こうした情緒の切断されたところに自分自身は存在いない。 自己の一体性や連続性が、どこかで切断されて、 自分が見失われているのである。そして自己の、 存在の「理由」が問われているのである。 |