(  市)ルネサンスへ<2015-1023-6



存在の理由。


日々の暮らしの中の習慣や常識、日常の世界というのは、それはつまり、見せられている、押し付けられている、与えられている現実に過ぎない。真実の自分のものではないのである。

そしてまた、芸術や絵画の中に見る精神性や理性といったものは、自分で見つけるしかないものなのである。なぜなら、それを知ることが出来るのは自分以外にいないからである。それは自分自身のことだからである。自分の精神の中にしかないものだからである。そして、それはまた、自分自身の身の周りの、どこにでも見つけることが出来るものでもあるのである。

ただ、それに気づかないだけなのである。心のなかで、なにかが欠けていて、自分を見失ってしまったのである。そして、自分が消えてしまったのである。なにもかも、見えなくなってしまったのだ。現実を透過して、その奥で現実を動かしている、原理や必然性が見えなくなっているのである。自分自身の存在の理由が見えなくなっているのである。

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