(  市)ルネサンスへ<2015-1113-2



見えるもの、その2。


そうしたことは、生物としての人間が、長い進化の過程で獲得し、そして同時に廃棄して来た身体的特徴(例えば視覚)の結果なのである。そしてそれはまた、人間の身体的特徴の条件と制約、長所と短所を意味している。と同時に、こうした特徴といったものが、人間の生存の仕方に、その生き方と生存の様式に、もっとも適した身体的特徴だということである。

あるいはまた、それは、同じ色の識別は出来ないということである。これは非常に、そして本質的に大事なことである。白色は同じ「白」でしかなく、白以外の他の色ではないということである。すべての色というのが、そのように区別されて見えてくるということである。このような同一性と区別が、自己と他者を区別する示標となっている。自分というのが意識される前提となるのである。人間にとっては、何かが見える以前に、自分が意識されているのである。

白色が白なのに、黒だというのは、世の中ではよくあることである。イヤ、そればっかりだと言ってもよい。そうやって自分が見失われ、そうした状態を何とも感じなくなって、それをごく普通の当り前のこととして受け止めている。感覚が破壊されて、自分というのを進んで他人に譲り渡して、自分が他人に支配されるだけの、人型ロボットのような存在になっている。そしてそうやって、世の中がうまく回っている。だれも不自由とも息苦しいとも思わない。世の中が狂っている。

 戻る。                  お終い。

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