(  市)ルネサンスへ< 2015-1225  続、「ぼやける」。



4:独立する感覚。


もちろん、ここでいう理性とは、人間的な意思とか、
精神のことではない。もっと物理的な、例えば、重力の法則とか、
物体の大きさの認識の基準とか、時間の長短の尺度の共通性
などといった、自然のすべてに共通する、内的な秩序や関連性、
原理や法則という意味での、「理性」である。

つまり、そうした理性の認識によって世界が関連付けられ、
何らかの法則によって支配され、そしてまた、
そうであることによってのみ、世界というのが、
人間にとって理解されるものとなるのである。
とはいっても、このような理性という概念自体が、
すでに人間の思考の産物なのであるが・・・。

以上は感覚としての、
視覚の見方(みかた)・見え方・感じ方といったものである。
しかし、視覚自体は、そのことをどのように感じているのだろうか。
意識とは別の、意識とは区別される視覚そのものは、
そのことを、どのようなものとして感じているのだろうか?
つまり、意識にとっての見方・見え方ではなくて、
意識とは区別され、意識から独立した視覚にとっての
見方(みかた)・見え方は、どうなのかということである。言いかえると、
見方・見え方にとっての、見方・見え方というのは、
いったいどういうものなのか、ということである。

 戻る。                お終い。

<ルネサンスへ