( 市)ルネサンスへ<2016-0520
存在。
「存在」というのを個人レベルで見ると、 その個人の生と死でもって始まり終わるのであるが、 その個人が生きてきた、機能や様式、必然性といったものは、 その後もずっと、現実の中で生き続けている。そして、そうしたことが、 まぎれもなく民族の精神とか魂(タマシイ)と言われているものであり、 それは、人間の存在の仕方、生き方や考え方、感覚や情緒の あり方としてずっと残り、生き続けている。そして、そうしたことが、 祖先から自分へ、自分から子孫へとずっと続いて来ている。 このような「存在の仕方」を離れた人間というのは、 現実には存在しない。 それは、自己が同一であり続けるという、主体の存在を示唆して いる。それは、空間的に見ると、自己の肉体であり、 精神的に見ると、自己の人格であり、時間的に見ると、 民族の魂(タマシイ)といったものである。 それらはいずれもハッキリした明瞭な輪郭と、すがたカタチを持って いて、それがその人間の、精神の領域と境界を成しているのである。 他者とハッキリ区別される、その民族(ないし個人)特有の 必然性と様式を成しているのである。 戻る。 |