( 市)ルネサンスへ<2016-0610 ぼやける、
~5:感覚の持ち主。
ボヤケて消えたもの、ものがボヤケて背景と同じになったもの、 また、視野角度の外に出てしまったもの、あるいは、どうでもよい背景 といったもの。そうしたことは、見えないもの、見たくないもの、 見る必要のないもの、見てはならないもの、見えてはならないもの、 などのことであるが、やはりそれも、たとえ必要のないものであっても、 やはり、意思的で主観的であるとしか言いようがない。見る本人が、 そうした見え方を選んだのだから。 たとえそれが、本人が意図もせず、意識もされていなかったとしても、 やはり、そうとしか言いようがないのである。それは、本人自身が願い、 のぞんだことだからである。なぜなら、その感じ方の当事者とは、 自分以外にいないからである。自分だけが自分に責任を負えるから である。そうした感覚の持ち主は自分であり、それは自分自身の 感覚に属することだからである。 それは自分の中にある見え方といったものである。外の世界はなにも 変わらないのに、自分の見え方といったものが、ものを見えなくしたり、 ボカシたり、あるいは反対に、ハッキリと見えるようにしているのである。 それは、自分の中にある意思とか記憶が、感覚の世界に持ち込ま れたものなのである。それは主観的であって、外の世界から持ち込 まれたものではなくて、自分の中から、自分の感覚、自分の意思の 表現として、外の世界を理解し見ているのである。だから、やはり 主観的なのである。 戻る。 続く。 |