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6、カラッポ。


それが嫌なら、マネて似せるしかいないのである。そしてこれは、この世界全体のコンセンサス(社会的合意)なのである。しかしまた、そうである以上、それがマネて似せるものである以上、それは中身を欠いた、表面的で形式的なものにならざるを得ないのである。そしてそれで十分なのである。

だからまた、心理的にも精神的にも実体を欠いた「おどろき」の表情、意味不明な戸惑いとおびえの表情とならざるを得ないのである。そしてまた、そうしたことが明治維新以降の日本の歴史だったのである。

すなわち、似せる、パクる、ナリスマスのである。何もかもが西洋化されてきたのである。教育、文化芸術、科学や産業においてもそうであり続けたのである。そうして気が付くと、自分が誰なのか分からなくなっているのである。

そして、そうしたことが「おどろき」という感情表現にそのまま現れているのである。すなわち、中身がカラッポという意味でそうなのである。


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