index< 日誌 < ao強制力 < 21-13「続、眼をむく」 |
+
情緒が情緒として成り立ち得るのは、それが現実にあるからであって、現実とは、すなわち自分自身の肉体のことなのであって、この身体の動きやその姿の変化の移り行くさまを、私たちは情緒とか感情と言っているのである。 このように限界づけられ、条件づけられた特殊な世界を私たちは「情緒」としてとらえ、そしてそのようなものとして理解しているのである。その他に理解のしようがないのである。 情緒というのが現れる場所というのが、そこにしかないのである。情緒というのが、そこから現れてきて、そしてまた、そこから規定されてきているのである。そしてこのようにして、私たちは現実というのを理解しているのである。 |
index< 日誌 < ao強制力 < 21-13「続、眼をむく」