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このような、前世からの宿命論にも似た「正義や道徳」といったものを、そとからながめて見ると、だれか見知らぬ絶対的な意志のチカラによって、あらかじめ定められていて、それを強制されているかのように見えてきてならない。 なぜなら、誰もがそれを信じて疑わないからである。それは初めから定められている、疑うことも逆らうことも許されない、絶対的なオキテやサダメのように感じられているからである。だからそれが絶対的な強制のように思えてならないのである。 しかし、実際にはそうではなくて、それは、誰かの意志や命令あるいは願いや求めに基づいているというのではなくて、そういうものではなくて ただ、初めからそのように出来ていたということなのである。何かを考える以前に、それ以前に初めからそうであった、ということなのである。つまり、絶対的な強制なのである。 |
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