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そうした意味で人間は、このような自分たち自身の遺伝情報、言い換えれば、自分たちの「種」の記憶に拘束されているのであり、また、そこから離れられず、そしてまた、これが自己の内的同一性の根底にあるのである。そうした意味で人間は、このような自己の無意識の記憶といったものに支配されているのである。 このような無意識の世界。そしてその記憶。あるいはまた、このような遺伝された生理の特質といったものを、私たちは、自分たちの民族や国民としての、何らかの出自を同じくする人間集団にとっての、「タマシイ」とかアイデンティティーと言っているのではないだろうか。 また、このような主体としての自己の身体を離れたところに、自己の内的同一性は存在し得ないのである。それは、自分が自分としての自己の同一性なのであり、そしてまた、このようにして、自己というのが時間的・歴史的拘束から離れて生き続けるのである。 |
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