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このようにして、始め自分でも分からなかった、不明のままの情緒といったものが、現実のすがたで理解され、自覚され、意識されているのである。心の中の動きといったものにカタチがない以上、それは、自分たちが知り得るような、現実のカタチとして示されなければならないのである。 このようにして本来、無関係な様々な別々の出来事や経験、見るもの聞くもの触れるものが、同一の秩序や原理に基づくものであると思えてくるのである。錯綜し混乱した無秩序の世界に、規則とその原理を求めて止まないのである。そしてこれが、人間と世界との係わり方なのである。 あるいは、もっと正確に言うと、本来、心の動きといったものは、自分でもワケのわからない、得体の知れないものであって、無限の底なしに不明なものであって、それが、自分の身体という限られた身体の動きや習慣、表情や仕草などを通して、それがカタチあるものとしてカテゴリー化されてゆくのである。 |
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