index< 日誌 <au錯覚<23-79「色の発見」 |
たとえばそれは、私たちが外の世界に「色」の違いを感じるときがそうである。もちろんそれは、線やカタチや模様、そしてそれらの時間的な変化についても言えることで、総じて人間の感覚すべてについて言えることなのである。 色に違いを感じるのは、それが違う色として意識されることに意味があるからである。自分にとって意味のないものを、人間は見たり感じたりすることがなく、またそれを識別したり記憶に残したりすることもない。 それが違う色として認識されて始めて、その色というのが意味を持ち始めるのである。あるいは、それが違う色として認識する必要があったのであり、言い換えれば、そのような関連付けが自分に取って必要だったのである。 そしてこのような関係性こそが、それを区別する必要があったのであり、その「しるし」を「色」の違いとして識別してきたのである。このような関連付け、関係の仕方、現実との関わり方の変化こそが、モノクロからカラーへの色の発見として意識されたのである。 |
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