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それ以外の見かたが出来ないのである。これが自分と他者の間の境界線になっているのである。これはケジメなのである。これが壊れると自分と他人の区別がなくなって自分を見失う。だからこれは、どうしても守らなければならない、自分自身の精神の領域なのである。自己の人格であり、個性であり、オリジナルなのである。 しかしまた、やはり、民族や国民、人種といった区別の中にも、そうした感覚を見てしまう。民族の文化や宗教、そして、そこに生きる者にとっての「信じるもの」の中に、そしてまた、その歴史や社会の中に、このタマシイのようなものを見てしまうのである。そしてまた、そうやってしか、自分たちにとっての現実の世界というのが見えて来ないのである。 |
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2019-0104-0113