index< 日誌 <au錯覚 < 23b-02偏向2 「共有」p5 |
そうやって、主観というのが徐々に客観的な性質を帯びるようになる。主観というのは、個人の特殊な偏見に基づくもので、それはそれで仕方のないことなのであるが、しかしまた、こうした主観が、思考の無意識の仮定の中で、抽象化された形式に一般化され、あるいは共感し共有化されることによって、客観的な性質を帯びてくる。 そしてこのような過程というのが関連付けであり、思い付きや閃(ひらめ)きといったものであり、経験や無意識の記憶といったものが、そうやって関連付けられ、一般化され、抽象化されて行く。 そして、このような抽象化された印象のサインが、意味不明な乱反射と、その混乱と迷走の一人歩きの思考を作り出している。自分の中で、原因と結果の因果関係といったものを意識させている。 |
index< 日誌 <au錯覚 < 23b-02偏向2 「共有」p5
2019-0101-0104