index< 日誌 <ai原理< 23b-59現れた精神3 「戒律」p12 |
日本語で言うところの自分とは、「自分たち」のことであって、必ずしも自分自身のことを指している訳ではない。この集団としての「自分たち」というのが、自分自身の自意識の根源にあって、自分のよりどころでもあり、自分の立場とアイデンティティーの根拠になっているのである。 日本人にとって自分とは「自分たち」のことであって、個人というのが存在しないのである。自分の考えというのがなく、まわりの考えに合わせることを自分の考えのように勘違いしているのである。むしろ、自分の考えを持つということ自体が、何か悪いことのように思われている。 だからまた、いつまでたっても自分というのが見えてくることがなく、それに気づくこともなく、そうした自分の考えというのを何か悪いこと、あってはならないことのように信じられている。これは幼いころからのシツケがそうであり、学校教育がそうであり、企業や政府の「指導」がそうなのである。 |
履歴へ 続く。
index< 日誌 <ai原理< 23b-59現れた精神3 「戒律」p12
z2019-0207-0214