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異文化に見る、自分自身の中にある未知との遭遇、そしてその発見。異質という未知の世界の中に、私たちは自分には無いものを見ている。だからあこがれもするし、それを求め知ろうともする、というのは少し誤解している。 自分には欠けているもの、無いものを異文化に見ているというのは誤解である。そもそも、自分に無いものなど見えないし、知ることも出来ないのである。 知らない未知のものが見えるというのは、それ以前のところで、自分が未知のものとどこか似ているところがあるからであって、または似ていないとしても、どこか根本的なところで、共通の土台の上で成り立っているからである。 この共通の土台の上に成り立っているということである。だからまた私たちは、未知のものを通して自分に欠けているもの、自分にないもの、自分とは異質な世界というのを知ることが出来るのである。 従ってまた、だからこそそれが、自分にとって未知のものと知ることができるし、また、未知のものとして自分に迫ってきているのである。 |
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2019-0221-0307