index< 日誌 < ax背景< 23b-89設定3 「偶然の錯覚」p9 |
もしも、たとえ意味などないとしても、そうなのである。もともとそれとは別のものであっても、そんなことはどうでも良いことなのである。要は、何よりも大事なことは、自分にとって、何らかの意味というのが求められている、ということなのである。 そして、そうしたことが否応(いやおう)なく、現実世界の自分にとっての意味といったものを作り出しているのである。そしてその意味の、目に見える印(しるし)といったものが、象徴と暗示とサインの世界なのである。 こうして私たちは、現実世界の目に見えるカタチから、それとは別の意味、カタチとは別の自分にとっての意味を見ている。外面的で表面的な、形式だけのカタチの世界から、目に見えない内的で精神的な意味といったものを見い出しているのである。 |
戻る。 履歴へ
index< 日誌 < ax背景< 23b-89設定3 「偶然の錯覚」p9
2019-0307-0313