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「交感」


交感と交流。
共に感じ心が触れ合うというのは錯覚であり、誤解なのである。それは、自分の中で何かサインを見ていて、それに反応して、それを認めているのである。錯綜し、幻惑し、混乱しているのである。

それは神経をしびれさせ、戦慄し、おののかせる。そうした感覚の感じ方へと無意識の内を自分を導いている。このような暗示と印象、そしてそのサインと信号、あるいはまた、そのイメージと象徴の世界なのである。

現実の印象が簡略化され、省略され、自動化されて、それがただ行動へと誘うサインと化しているのである。馴れ、習性、条件反射といったものがそれである。このような印象の世界で繰り広げられる、カタチや色のパターンといったものが、実際の現実というのを頭の中で象徴化しているのである。すなわち、錯覚しているのである。

また、それゆえに、これが観念の世界なのであって、現実が抽象化されカテゴリー化されているのである。そして、これに基づいて思考がなされているのである。

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2019-0313-0317