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これら肉体内部の連鎖といったものが、それら同士のあいだで共通点と相違点を探し出して、それら同士で関連付けて符号化し、抽象化しているのである。というのは、そうやって自分というのを感じているし、意識もされているのである。 すなわち、これが共感であり交流なのである。あるいはまた、それが自分の中で共鳴し、コダマとなって感じられてくるのである。それは言葉ではなくて、肉体の生理であって営みなのである。肉体の営みが、それを覚えていたのである。 このような、自分でもどうにもならない、あらかじめ与えられ定められた情緒に従って、私たちは支配され強制されているのである。またそうやって、他人を理解しているのである。そしてこれが感覚であり、感じ方であり、気分や雰囲気、心情とでもいったものなのである。 |
戻る。 続く。
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2019-0313-0317