index< 日誌 s設定 <  23c-16幻想の世界3 「交感」p7

1、理解の手段。


それは、コミュニケーション能力のことであって、共感や交流、同情や交感といったもの自体が、仮想や錯覚に過ぎないのである。しかしまた、だからこそ、異なる別々の種や個人の間で、お互いを知り、理解することができたのである。

理解するというのは、このような錯覚と思い込みの世界なのである。もともと、精神の中にしかないものを、自分の身体の動きや生理の作用、そしてその表情や仕草でもって理解しようとしているのである。

しかしまた、それは仕方のないことであって、それ以外の理解の仕方といったものが人間には無いのである。だから、そうやって理解する以外に無いのである。

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2019-0317-0327