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そうだとすれば、幾何学的な模様の世界は、イスラムの寺院やカーペットやタイルの世界がそうである。この場合、現実を無視した、何らかの記号の世界だけで成り立っている。そうした論理的で意志的な世界が表現されている。 だからまた、模様としてもとらえやすく理解もしやすいのである。これはむしろ模様というよりもカタチの形状なのである。これと全くの対照をなすのが、東洋の陶磁器の世界である。この東洋の模様は、いったい何を指しているのか、また、どういう規則で模様が成り立っていて、何を描いているのか、さっぱり分からないのである。 抽象的という人もいるが、それともどこか違う。論理的整合性が全く見られないのである。あくまでも直感と衝動でしかないのである。そうした、何やら捉えどころのない、ワケの分からない世界なのである。自分自身の精神の裏側を見ているような、そんな世界である。意識も、意志も、論理とも無関係な世界なのである。 |
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2019-0402-0404