index< 日誌 < ax背景 < 23c-54文明の発生6 「喪失」p7 |
自分で考え、自分で判断し、自分で意識するということが無い、そうした世界なのである。そうした選択枝がない世界なのである。 だからまた、自爆も玉砕も何ら不思議に思うことがなく、それしかなく、それだけが常識の正義のように思えてきて、そうである以上、悩むことを止めてしまうのである。苦痛も苦悩もなく、ただ定められたシキタリに従って生きて行くだけなのである。 自分の意志も、自分の存在も現実に存在しない以上、あらゆる苦痛と苦悩から解放されて、どんなことでも平気で行えるようになるのである。そうして、自分というのが、現実世界のどこを探しても存在しない、そうした世界なのである。 そしてこのような集団主義自体が、個人の自己意識の曖昧なところでしか起こらない、ということなのである。反対に言うと、人間同士の関係が、上下の身分関係がすべての、武士道と儒教の世界でしか起こらない、ということなのである。 |
戻る。 履歴へ
index< 日誌 < ax背景 < 23c-54文明の発生6 「喪失」p7
2019-0406-0408