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2、解体。


だから微笑んだりするときは、このような何かを意識し意図するといった、目的や意志そのものが感じられず、また、その意志の表現であるはずの、神経や筋肉の動きといったものが散漫で緩み分散し、目的とするところの方向性を持たないのである。

だからまたそれは感情というよりも情緒に近いものであって、まただからこそ、それが素直で正直な心情のように思えてくるのである。意図や目的がないがゆえの、気分や気持ちの心地良さ、あるいは不愉快さとして伝わってくるのである。

何かしらの心情といったものが満ちているにも係わらず、それにまとまりがなく、繋がりもなく、それぞれがバラバラで、なんら目的や意図的な意志が感じられないのである。つまり、まとまりがなく緩みっぱなしという状態である。

むしろ、意志あるいは意識というのが、自分の外に向かって解体されたままの状態である。アゴは垂(た)れて、クチはだらしなく開いたままで、目に生気が乏しく、眼光が鈍く焦点が定まらない。このような顔の表情といったものは、神経の散漫、集中力の欠如からくる筋肉の緩み、たるみ、むくみ、ズレである。

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2019-0507-0511