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2、関連付け。


私たちの五感としての、見たり聞いたり触れたり何かを感じたりするのは、このような物理的で現実的な感覚器官を通してのみ可能なのである。たとえ空想などといっても、このような感覚の蓄積された土壌においてのみ、始めて可能なことなのである。

次に、このような無意識の感覚の世界がもたらす、象徴の世界について見ることにする。

ただ実際には、たとえ最も単純な物的刺激の感覚といっても、それ自体が、種々様々な他の感覚との共同作用と、それが随伴されたものであり、またそうした生理や神経、筋肉や肉体の営みや働きなどの、全体の中に関連付けられる一部分としての感覚なのである。

また、その中でのみ感覚が感覚として成り立っているのである。なぜなら、もしもこのような関連するものが無ければ、それはただたんなる物理的な刺激に過ぎず、それ自体が感覚とは言えないからである。

戻る。                続く。


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2018-0719-0725