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だからまた、ここから、特に中世に多く見られた一家心中、あるいは恋人同士の心中、あるいは腹切り、玉砕、集団自殺へと誘導される。まるでそれしか無いように。そしてそれが何か果てしなく美しく貴いことのように宣伝される。何かが根本的に狂っている。 奴隷として生まれ、忠実な奴隷として最後まで尽くして死ぬのを、最高の栄誉と尊厳であると信じている、――そう信じるしかなく、それ以外の生き方が許されなかっただけのことなのであるが。 「武士道」がそうなのである。究極の奴隷である。自分はもちろん、妻子よりも主君(社長)に対する問答無用の忠誠と、義理こそが最優先される。 これは、ヤクザと暴力団の世界のように見えるけれども全然違う。ヤクザの極道の方が、何よりも自分の考えを持っている。まただからこそ極道にしかなれなかったのだ。群れたり迎合することもない。何よりも自分よりも強そうな者に対しても、権力に対しても反抗的である。やはり、武士道と極道は全く別のものだ。 |