index< 日誌 < d無意識< 24c-47主観の現実③ 「知識の合理性」p2 |
「知識の合理性」などアテにならない。そもそも合理性自体が際限なく怪しい「考え」なのである。それは人間の妄想が創り出した幻想と迷信の世界なのである。 また、知識自体は、他人が考えたことのコピーであって、他人のものを頭の中にコピペするだけなら、サポートと時間さえあれば誰だって出来ることなのである。 しかしまた、それすらも欠けた、脳ミソの中がカラッポの人間に何を言ってもダメなのである。何を言われても、それを理解する能力が本人に欠けているのである。だからどうにもならないし、言うだけムダなのである。 これは、もともとそうだというのではなくて、単にやる気と意志が無いということなのである。楽して他人を利用する事ばかり考えるから、そうなってしまうし、それしか出来なくなっているのである。自分のことを自分で悩まなくなった結果なのである。 知識がないというだけでなく、それ以前に、それを自覚することが出来ない人間なのである。しかしまた、それ以前に、自分の中で自己を反省する能力のない人間に、何を言ってもダメなのである。 |