index< 日誌 < ag儒教 ai原理< 24c-57自分にしかないものF 「人権の起源」p9 |
それは、自己の精神が現実の世界に現れ出たカタチなのである。自己の精神の領域が現実の見える物となって表現されたのである。現実とは、このような自己の精神が表現されたカタチなのである。 従って、自己の営みと行為によって創り出されたものは、それは自己の精神の延長なのであって、自己の精神が見えるカタチとなって表現されたのである。それは自己の自分にしかない、自分自身の内的原理であり、その自律性が外の世界に表現されたのである。 従って、これこそが神聖不可侵の自己の精神の領域であり、その輪郭であり、そして何よりも自己と他者を区別する現実の境界線なのである。そしてこれが 人格であり、そして所有権なのである。 また、そうであることによって、空想と主観の観念的な存在に過ぎなかった自己というのが、現実の存在として、しかも自己と他者との間に厳密な境界線を持つ、客観的な現実のすがたカタチを持つ存在となることが出来たのである。それは神聖不可侵の自己の精神が、現実の世界に現れ出たカタチなのである。 |