index< 日誌 < aj情緒< 24d-15「情緒の始め」p2 |
精神は自己の情緒的な要求を満たすべく、現実的な解決を求めている。しかしそれが急激で突発的な衝動であるために、日常の正常な意志や理性に基づくことが出来ずに、感情的にならざるを得ないのである。 そしてこの感情によって、自分の情緒の動機や原因といったもものが、何かしらの現実的な要求となって表現されているのである。 この場合、この感情の表出としての諸々の行動や意志といったものが、それが良いか悪いか、正しいかどうかといったことは、どうでも良い二次的なものに過ぎないのである。情緒にしてみれば、それどころではないのである。だからまた、それが感情的なのである。 |