index< 日誌 < y肉体< 24d-43「肉体の拘束」 |
なぜ、偶然というのが、人間の身体の習性や反射作用として現れてくるのか。それは、解決を求める現実の差し迫った事態が、人間には予測できないからである。だから要するに、すでに自分にあるもの、自分に出来ることを通して解決するしかないからである。そして、これが偶然なのである。 予測出来ない不意で未知の出来事のすべてに対して、緊急の対応を迫られることになる。そして、これに対応する本人の身体的条件といったものに、制約があるということである。 言い換えると人間は、すでに自分が持っているものを通してしか、そうした不意の事態に対応できないということである。これは、それに対応する器官や筋肉、神経といった、そうした物理的な制約だけでなく、その対応の仕方や方法に至るまで制限している。 経験と記憶にないことは出来ないということである。つまり、自分が経験するか馴れ親しんでいるパターンでしか、対処する方法を知らず、また、対処し得ないということである。 |