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それは実際の行動へ移る直前の前段階と言えるものである。そして、それが相手にも分かるし、また相手を通して、自分もまた自覚出来るし意識もされるのである。つまり、それ自体が一つのコミュニケションの手段となっているのである。 すなわち、それだけで相手を威嚇し脅したり、あるいは納得させたり理解させる手段になっている。こうしたことを本人自身も多かれ少なかれ意識していて、そしてコミュニケーションや交渉の手段として利用しているのである。 たとえそれが無意識であってもそうなのである。そして何よりも自分自身がそれに納得し、了解もし、そしてまた、それでもって納得せざるを得ないのである。それ以外に自分の感情といったものを確かめる方法が、自分にはないのである。それだけが、自分で自分を確かめられる方法なのである。ほとんど唯一の目に見える自分自身の感情のすがたなのである。 |