index< 日誌 < u列島 < 24d-90おもてなしB 「続、自分たち」p6 |
しかしまた、それだけではない。このようなシツケと教育といったものが、最大多数者の「自分たち」という集団的自意識に基づいてなされるということである。例えるなら、国家と国民などという概念がそうである。あるいはまた、同窓や同郷、身内などの冠婚葬祭やイベントの経験や記憶がそうなのである。 祭りや運動会・文化祭などの記憶もそうである。そうした自分の記憶がいまの自分の情緒と感情に繋がっているのである。そしてまた、それ以外の人間関係を知らないのである。また、その範囲を越えたところの常識も思考も持たないのである。 だからまた、それが自分たちにとって正しいことのように思えても来るし、また、そのように信じてもいる。そしてまた、これが自分を含めたこの社会全体が、どうしても守らねばならない正義と良心のように思い込んでいるのである。 そうした非常に狭くて偏った世界なのである。だからまた、その範囲の中での自分たちであり、そして自分とは、その中の一部分でしかないのである。そうした閉じた世界なのである。 |