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6、風景。

それはまた、思考しているのでもなく、また合理的な意識でもなく、また、何かしらの論理に結び付くようなものでもなく、あるいはまた、実利的な行動や動機に繋がることもないのである。

あくまでも非現実の本能的な衝動に過ぎないのである。そしてこのような観念の世界から出ることがなく、出ることも出来ずに、まただからこそ、それが自分に迫って来ているのである。そして、こうしたことが人間にとっての風景が持つ意味なのである。

もちろん、この「風景」といったものを、客観的な環境の条件とでも言い表したなら、それは全く違う意味になるけれども、しかしこれを「風景」といった場合、どこか占いや迷信といった非現実で直感的な意味合いが付きまとうのである。

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2020-0510-0521