「面影(オモカゲ)」〜2 営み。
やはり、男だけだと何かが欠けている。武骨(ブコツ)いし、雑だし、なによりも殺伐(サツバツ)としている。色がない、華やかさがない、明るさがない、柔らかさや、おだやかな情感がない。声や仕草(しぐさ)、情緒にいたるまですべてがそうなのである。 だからまた、こうした職場環境においてこそ、彼女はなくてはならない、どうしても必要な存在だったのである。にもかかわらず、いつも隅(スミ)っこの方で目立たず、ぼやけた影のように表に出てくることがない。そうしたアンバランスなところがカワイイのである。 それは、そうであってはならないものとして、それを強く男たちに意識させるのである。僕たちが、支えて見守って行かなければならないのだと。もしかすると、もともとそうした役回りなのかも知れない。 しかし、本人がそれをわかっているかどうかは別である。たぶん、わかっていない。しかし、そうした役回りこそが、職場という場所が彼女に求めていることなのである。それは、彼女の意思とは関係のない、周りの要請なのである。 それは男にもともと無いもの、欠けているもの、抜け落ちているものなのである。だからこそ、それを彼女の中に見ていて、そして同時に、それが欠けている者としての自分自身を見ているのである、強く意識するのである。それは人間集団にとっての、バランス(調和)というものなのである。常にバランスを維持していて、アンバランスを補正しようと働いている。そしてそれへと志向し、いざなわれている。 そうやって調和を求めて動いているのである。それが、営みというものなのである。いつも何かを求めていて、そして願い、それへと導かれ、さ迷いながらも歩き続けているのである。そうせざるを得ず、そうするしかなく、それだけが残された唯一の営みとなっているのである。そうやってのみ自分自身を持ちこたえ、にぎりしめ、自分が自分であり続けるのである。それ以外の自分というのがあり得ないのである。そうやって自分を保ち続けるのである。それが自分自身の存在というものなのである。 戻る。 続く。 |