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面影(オモカゲ)、~4 救い。


何もかもが彼女と結びつき、彼女を象徴するものとして見えてくる。やはりそれは、彼女自身とは別のものだ。彼女を透(すか)して、彼女自身とは別の、彼女とはなんの関係もない、僕自身の観念の世界を見ている。底無しの孤独と、はてしのない夢の世界を見ている。

それは現実を生きる自分自身の象徴の世界であって、精神といったものが、現実から離脱して観念の世界を生きているのである。そして現実のなかで、そうしたイメージを追い求め、有るもの無いものすべて見境(ミサカイ)なく象徴化していっているのである。精神は自分の生きる理由とその姿(スガタ)を現実の中で見つけなければならないのである。そして、それこそが僕にとってもっとも欠けているものだったのである。

それは幻(マボロシ)であり、なにかの象徴である。しかし、それがいったい何なのかと問われても、自分自身よくわからないのである。それは憧(アコガ)れであり、祈りであり、自分に欠けているもの、忘れているものなのである。それなくして、僕は僕であることができない。そして、それとの交流においてこそ、真実の自分というのが見えて来るのである。

それは神々の世界であって、自分でもどうにもならず、だからまた、どうでもよいのである。なるようにしかならないのである。そして、それが自分の本当のすがたなのである。そうやって、いつでも、どこでも、肉体から精神だけが抜け出して、現実のなかを漂い、はてしなくさ迷い続けけているのである。

それは届かないもの、はてしのないもの、限りないもの、そしてまた、永遠のものである。だからこそまた、夢であり、真実であり続けるのである。それは現実を生きる私たちにとって見れば、祈りであり、救いの世界なのである。

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