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〜2 幻(まぼろし)。

はじめてこの職場に来た時もそうだった。みんなとおなじように、だれとも一緒になって、同じところで、同じように生きているのに、内心は、僕の心の中はいつも自分だけが別世界を生きている。そう思えてならなかったのである。そして実際、そうなのである。

感じ方、見かた、考え方、反応の仕方といったものが、やはりどこか根本的なところでまったく異なるのである。異質なのだ。異民族としか言いようがない。自分自身の中に住んでいる動機とか理由といったもの、リズムや情緒といったものが、どこか本質的に違うのである。自分自身の必然性と理由といったものが、もともとどこかで違うのである。いつもそうだった。

不思議な異和感と不可解で、なにか言いようのない、まどろむような空気の中に彼女はいた。まるで夢の中で見るように。影が薄く、現実感に乏しく、いまにも周囲の背景のなかで溶けて、ぼやけて薄れて消えていってしまいそうな、そんな夢のような、現れては消えて行く幻(まぼろし)のように見えてきて仕方がなかった。

そうだ、それは「天使」というのが最もふさわしい。実際のところ、僕には天使としか言いようがなかった。ずっとずっと遠くにあって、けっして届くことのない夢でしかなかったものが、僕の目の前のすぐそこに、手の届くところに見えている。まるでいまにも消えて行ってしまいそうに。

とりとめのない、何もかもが解体し始めた、まだら模様の引き裂かれた空間の裂け目から、現れては消えてゆく幻のように。いつでもどこでも、僕にまとわりついて離れない影やカゲロウのように。僕を支配し、僕をいざない、導いている、そんな幻のような存在であり続けたのである。

 戻る。                        続く。

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