index <  日誌 < K夫人:目次 79、「理由」



~3 タマシイ。

僕だって男だ、そして人間だ。女性から、それも綺麗な女性から忌み嫌われることには慣れている。そうした気持ちは心情的に非常によくわかる。それは習性とか情緒、生理的で感性的なものである。「キモイ」とも言われている。自分でもどうにもならない個性同士の、相性や気性とでもいったものである。しかし、いまの彼女のそれは、そうした感情的なものではない。それとは別の意志的で強制的なものである。感情的なものではなく、意志の理知的な強制力なのである。

つまり、所帯持ちで、家族に対する責任があって、家のダンナ(夫)に対する気づかいがあって、世間の目もあって、そうした彼女の立場から来るものなのである。それは彼女自身の心情や気持ち、意志とは全然別のものなのである。それは、世間に対する彼女の立場を表明しているのであって、本来それとは別のところにあるはずの、彼女自身の心情については何も表明されてはおらず、また、伝わっても来ないのである。

だからそれは僕にとって見れば、うまく出来たしゃべる自動販売機のように見えてくるのである。僕の目にはどうしてもそのように映ってしまうのである。だから、そうした彼女がどうしてもイヤでならなかった。どうしても好きにはなれない。僕を好いてるとか嫌(イヤ)がってるとか、そんなことはどうでもよかった。僕はただ彼女の本当の気持ちを知りたかったのだ。それを避ける彼女がイヤでならなかった。

彼女の中から彼女のタマシイが消えた。まるで彼女が、肉体だけのすでに死んだも同然の人間のように見えてしまうのである。彼女が、タマシイを失った肉体だけのヌケガラ(抜け殻)のように見えてしまうのである。だから僕にして見ればそうした彼女が残念でならず、心が壊れてしまいそうだった。そうやって、何もかもが僕の前から消えていって、そして僕にはもう何も見えなくなってしまった。

 戻る。                       続く。

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