「儒教世界」

〜6、信じるもの。


すなわち、王を頂点とするピラミッド型のシステムである。これは同時に家庭内おいては家長(父)を中心にした上下の絶対的関係である。それは上下の、目上(めうえ)と目下(めした)の上下の関係だけで絶対的で不変のものとして固定される必要があったのである。

このような支配と隷属の関係こそが、中世社会の絶対的な要(かなめ)として、根本的な社会の秩序として確立されることが必要だったのである。これが東アジアにおける儒教の成立の根拠であり、またその存続の基盤であり続けた現実の条件だったのである。

そしてまた、このような生存のシステムの基盤の上に、社会の倫理やシツケ、統治のシステムや仕組みなどが出来上がる。そしてそれを正当化または理由付けして、そこから利益を得る階層や役割を持った、いわば「洗脳」システムとしてのマスコミが形成されて行く。学校もそうである。そのための学校である。

そうしたことは、実は、自然の成り行きといったもので、そうやって世間の常識や人間の生き方といったものが定められて行く。従って、そこからはずれた「生き方」というのは、ほぼあり得ないのである。それは反社会的存在とみなされ、人間として生きて行く道が閉ざされることとなる

戻る。              目次へ