「古代ギリシャ精神」


〜1、自然。


ギリシャ精神は、精神が自然の活動と本質的に関係するように制限され、条件づけられるというところにある。制限というのは、ギリシャの自然環境のことである。この現実の自然環境の上で、言わば、ギリシャの自然という舞台の上で、ギリシャの精神が生成され形(カタチ)となっていったのである。

ここにギリシャ精神の根本的特徴があって、それはまた、ギリシャの自然の特徴でもあったのである。従ってまた、ギリシャの自由は他からの刺激を必要とし、その刺激を自発的に変化させ、再生産してゆくというかたちをとる。

自然と本質的に関係するというのは、それへとむりやり追い立てられるからである。むりやりというところに自らの内的な限界と制約があって、関係せざるを得ないというところに自然環境からくる制約と条件、限られた生存の余地があったのである。だから精神は、いまだ自由でも、自発的でも、意識されてもいな
いと言える。しかし、これを外から見ると、意識され自覚もされた「自由」であるかのように見える、というのも事実である。

仮に、こういう状態を季節に例えるなら、春である。めざめて自分に気づいたのであるが、いまだ秋も冬も知らない「めざめ」なのである。眠りを知らないめざめ、自分が眠っていたのに気づかない目覚めである。

目次へ              つづく。