「自意識」
〜5、疑惑。
それはわかりすぎる以上に、わかっていたことなのである。なにげない日常のすべての場面で、それと予感され、感じられてもくるし、自分自身の感覚のすべて、空気や心情や気分といったもの、自分を取りまいてただよっている雰囲気の中で、それとなく十分に気づいていたことなのである。 ずっとそうだった。もの心がつく前からずっとそうだった。何か言い知れぬ異和感が僕に取りついていて、確かに僕はどこか変わってもいたし、周りもそのように見ていたようである。進学のときも、就職のときも、そして仕事をはじめてからも、ずっとそうでありつづけた。どこか変わっている、異質な異邦人として。 そうだ。たしかにそれは、僕がのぞんだことなのだ。それは僕自身が、ひたすらそれを求め、推し進めた結果なのである。そうする以外になかった。そうやって自分の居場所、自分の理由を見つけようとしていたのである。そうやって自分を探し続けるしか無かったのである。 現実に自分がない以上、自分でそれを見つける以外になく、自分で作り出す以外になかったのである。そうである以上、まわりに溶け込めず異邦人であり続けるしかなかったのである。しかしそうだとしも、それは個性とか、本人の性分といったもので、仕方のないことではないか。 このような、内面と現実との不一致、精神と肉体の分離、意識と感覚の対立、ズレ、軋(きし)みといったもの、そしてそれ以上に根本的なところで、つまり、自分自身の感覚や意識に対して際限のない、深い根源的な疑惑をいだき続けていたのである。 |