「自意識」

〜4、舞台。


そうやって、自分をたしかめ、自分を理解し、そして納得しているのである。そしてまた、そうやって、自らを意識し、自覚し、生み出し、形成し、形づくり、自分自身を確かな現実のすがたにしようとしているのである。

気持ちや心情といったものが現実の世界に現れ出ようとしているのである。それは、自分が自らを意識する営みというのかも知れないし、そして、それはまた、自分自身が気づかないまま、のぞんだことのようにも思えて来る。

それはある意味で、心のどこかで僕が求め願ったからこそ意識されたのであり、映し出され現れたのである。そして、それに最もふさわしい直感的で直接的な姿がオバケ、悪霊、幽霊だったのである。だからまれに、ホントにまれに、オバケ以外の天使や妖精が出てくることもある。

それは、心の中の「舞台」であって、そのスポットライトの下で、オバケや天使が入れ替わり立ち替わり、入り乱れて、踊りや歌に興じているのである。たぶんメークや服を脱がせて見ると、同じ者がオバケや天使を演じているのだろうけど、その正体は僕にもわからない。この世でもっとも分からないのが自分自身の心の中なのである。

しかしそれは、現れなければならなかったのである。それは映しだされ、目に見えるカタチで、それとわかる姿でもって現れるしかなかったのである。なぜならそれは、それ以前にすでに感じられ意識もされ、無視できない絶対的な圧力として逃れることのできない脅威、逆らうことも抵抗することもできない、絶対的な強制力として僕自身を縛りつけ、押さえ付けていたからである。

そうしたなかで、自分が自らをたしかめ、自分が自分であり続けるためには、そこから出て行くしかなかった。それ以外に自分が生きる道がなかったのである。それは自分でもわかっていたことだし、なにげない日常の暮らしのなかで、たびたび暗示され、示唆され、そしてまた十分に予感されていたことだったのである。

戻る。             つづく。