「自意識」

〜3、恐れ。


昔からそうなのであって、ものごころがつく前からずっとそうだった。夢の中ではいつもオバケがでて来るし、さめて、起きてきて目を開けていても、暗がりや物影の中から、だれかがじっと僕を見つめ続けている。何かを求め、何かを期待し、そしてのぞみ、それへと導き、いざなうように。うらめしそうに。そして、もの悲しげに、僕をどこかへ連れて行こうとしている。

恐れ慄(おのの)き、気が滅入って来て、窒息し、気を失いそうになる。現実と観念の世界が入り乱れて、混乱し、見分けがつかなくなっている。どれがホントの自分なのか分からなくなって、自分がはたして誰なのか分からなくなる。自分が見つけられず、とまどい、おどろき、迷い、惑わされている。

たしかにそれは現実にないものである。空想と幻(まぼろし)の世界である。だがしかし、それは、現実にないものだといっても、僕の頭の中では確かに存在しているし、感じられてもいるし、理解も意識もされているし、そしてまた、その気配も感じられているのである。

事実、僕はその幻影にずっと苦しめられてきたのである。現実にないものだといっても僕の頭の中では、たしかな実体として存在し続けているのである。何かが、僕の心の中の奥底にあって、それは自分でもどうにもならない立入禁止の未知の領域、いわば、祖先の魂(たましい)が安らう領域であって、それが何かのキッカケで目を覚(さ)ましてきて、僕を苦しめているのである。

それが、僕に問いかけ、僕を見つめ、求め、いざなっているのである。様々なキッカケ、思いがけないあらゆる場面で、自らを垣間見せて、踊り出てくるのである。それは、どうにもならないことなのである。それは、自分自身との対話、交流、コミュニケーションなのである。まったく困ったものだ。ヘキエキ、ウンザリ、ゲーゲーだよ。

戻る。             つづく。