「自意識」

〜7、境界線。


逃げ続けることも出来ず、袋小路に追い詰められて、ズタズタにトドメを刺されている。まるで十字架に磔(はりつけ)られてズタズタに引き裂かれている。そして、それがわかるのである。意識されるし、感じられもするし、そしてまた、生理的にも精神的にも苦しめられる。

しかしそれは、だれが悪いのでもない、自分がわるいのである。自分だけが悪いのである。なぜなら、それは自分自身のプライベートな問題だからである。けっして、どんなことがあっても他人が入ってくることを許さない、自分自身の心の問題だからである。

それは、自分自身の心の神聖不可侵の領域での出来事だからである。そしてまた、それこそが自分が自分であることの証明だからである。それが意識され、自覚され、わかるのである。自分は自分であって、それは自分だけの世界であって、僕は他人と区別される、他人とは違う僕だけの心の領域を持っているのである。

それは神聖不可侵の僕だけの世界なのである。それは自己と他者との間にある境界線である。区別であり、人格であり、人権なのである。それは、自分が自分であることの、不可侵の境界線であり領域なのである。

そうやって、僕は自分自身というのが意識されるし、わかってもくる。自由にもなれるし、自分に対して正直にもなれる。すべては、自分のことを自分で責任を負うことになるのだから。いかなる他者の勝手な干渉をも許さないのだから。だから僕は自分自身に対して正直であり、そしてまた自由であるといえるのである。

戻る。             つづく。