「おなじ」
〜2、前も後ろも無い。
何もかもが作り物で、人間の精神というのが消えていて、生きているという感じがしないのである。すべてが形(カタチ)だけで、外面だけあって中身が無い。まるで昆虫が脱皮したヌケガラのように。生物のいない無機質な世界である。 そして、現実から切り離された妄想と感情だけが、気まぐれでわけのわからない遊びをくり返している。そこには現実的な意味での変化は何もなく、正面も背面も、前も後ろも、方向性も必然性もない。現実と切り離されたところで、精神だけがさ迷いだして、ただよい、さ迷いながら、永遠のあそびをくり返している。このような世界では、何も見えず、知り得ず、理解もできず、何一つ解決することもない。 だからよいのである。誰もキズつかないし、だれも責任を問われることもないから。みんなが、誰もかもがいつも変わらずに、ずっと同じままでいることが出来るのである。つまり、なにも変わらない。前も後ろもなく、目的も理由もない世界である。生きているのか死んでるのか、限りなく曖昧な世界である。 イヤ、そんなことはどうでもよい世界なのである。無いものがあるように思えてくれれば、ただそれだけで十分なのである。それ以上何ものぞんではならないのである。大切なことは、そうやってみんなが楽しく生きているということなのである。それが壊されてはならないのである。 しかしこうしたことは、閉じた島国と、固定せる民族と、地理的空間の閉鎖性の中でのみ起こり得る特殊な現象なのである。 |