「鏡の中」

〜1、見つめる自分。


夢の中で、あるいは白昼の、めざめた意識のなかで、なぜかオバケがでてくる。めんどくさく、うっとうしく、わずらわしく、まったくウンザリだ。厚かましく、図々しい。むかつくし、気が悪い、腹が立つ。なぜ出てくるのか。僕の現実になぜオバケが勝手に出てくるのか。場違いだし、望みも求めもしない勝手で一方的な侵犯行為である。しかし、理由は簡単なようにも思えてくる。

自分自身が、自分というのを信用できなくなっているのである。こうした底無しの猜疑心が、無意識の世界の心の奥底から、オバケというイメージとなって現れているのである。それは自分自身の心のすがたなのである。

それは本来、現実にあるはずのない存在、すなわち、自分自身のことなのである。現実に自分の「理由」が見つけられず、現実になじめず、外面だけで生きている存在、現実に居るはずのない存在が自分自身なのである。理由も、実体も、中身もない、表面のカタチだけで生きている存在、つまりオバケである。

この世に存在するはずの無い、生きていること自体が不思議で不可解な存在、それがオバケであり、そして自分自身のことなのである。だから、そうした苦悩や絶望が打ちひしがれ、さみしそうに死を望み求めているように見えてくるのである。

目次へ             つづく。