「鏡の中」

〜3、見まちがい。


たしかに亡霊やオバケたちの世界は、人間の空想が作り出した、まやかしと迷いの世界に過ぎないのであって、自分の迷いや憂い、叫びや戸惑い、衝撃や苦しさといったものが、自分自身では耐えきること出来ずに、現実をまともに見ることが恐ろしくて、偽りや言い逃れで無いものを見たと思い込んでいるだけなのかも知れない。

しかし、それ(オバケ)が見えるというのも事実であって、事実は事実として認めなければならない。仮にそれが、錯綜し困惑した感覚器官の誤解に基づく「見まちがい」であったとしてもである。

現実にないものが見えてくることだって、確かにある。たしかに現実にも意識の中にもな無いのであるが、それとは別に感覚器官がパニクってパンクした末に勝手に報告してくる、そうした間違いの映像だって確かにあるのである。

それは実際にはないものが「感じ」られているのであって、それはそれで事実として報告しなければならず、また、それがないがゆえに姿もカタチも知りようがなく、ワケのわからない未知のものを脳に伝えねばならず、そうすると、どうしてもワケの分からない支離滅裂なイメージや、脈絡のない出来事として表現されるしかないのである。まるで夢の中で見るように。目を開けたまま、めざめたままで夢を見ているようなものである。

戻る。             つづく。