「観念の世界」
〜1、別の現実。
カテゴリー(仕分け・分類・区分)は人為的な区分であって、それは人間の都合によって常に変化し続けているし、そしてそれ以前に、人間の頭が作り出した理性の世界と、その現実の世界とは本来全然別のものだということである。現実の世界と、それが映し出された頭の中の世界とは、本来、別のものだということである。 それは人間の都合に合わせた一面的な見方(みかた)や一側面に過ぎず、現実そのものとは本来別のものなのである。現実の世界と、頭の中の空想(=理性)とは本来、別のものなのである。それは、現実と自分自身との「係わり方」を表明しているのに過ぎないのである。現実の世界と、それが映し出す頭の中の世界とは、本来別のものだということである。 例えば政治政体などは、民主制・専制・共和制・君主制などに区分されるが、その区別はあくまでも形式的で外見上の区別であって、しかし、本当に問題になるのはその内容と実体なのである。それを構成するそれぞれの実体が、いったい、どうなのかということである。 論理やカテゴリーの上では同一であっても、現実にあるその実体は、それぞれがまったく別の異質なものだということである。それぞれが歴史的にも地域的にも異質な世界だということである。それぞれの民族、それぞれの人間というのが、異質な個性の持ち主だということである。 そうして見ると、同一の民主制でも、古代と現在とでは直接の比較は不可能である。それは次元の異なる全く異質な世界だからである。現実に生きている世界の常識が根本的に違うのである。そこで生きている人間そのものが、まったく異質な世界の住人だということである。外面上は同じに見えても、内面は全く異質な別の世界なのだ。ただ観念的なカテゴリーの上だけで人為的に仕分けされているのに過ぎないのである。現実は、人間の頭の中の世界とは本来別の世界なのである。 |