「観念の世界」

〜2、人型ロボット。


このような分類は、外から形式だけをムリヤリかぶせて、決めつけているだけである。何の意味もない。それは現実の実体から離れた、論理だけの無意味で不毛な遊びに終始してしまう。だがしかし、解りやすいのである。

何も知らなくても、知っていると思わせてくれるのである。これが大事なのである。そしてまた、そうした人間が寄って集まってくるのである。だから扱いやすいのである。何も考えずにそのまま信じてくれるから。自分こそがよく知っている人間だから、だれもが従って当然なのだと。実際その通りで、学校や企業、政府がやっていることがそうである。これがもっとも合理的で効率の良い社会システムなのである。

実は、そのように思い込むこと自体が大事なのであって、ことの良し悪し、善悪の正否などはどうでもよい別の問題なのである。むしろ反対に、内面的な自意識などといったものは考えてはならない事柄なのである。それは、自己意識を詮索し始めることになって、日本のシツケとオキテに抵触する由々しき事態を招きかねないからである。

外面的な見える表面のカタチだけがあって、中身がカラッポの、内容が欠落した不毛で空虚なコピーとナリスマシの世界。人間の顔をした人型ロボットの世界。自分が見つけられないのが当然なのである。日本という現実は、もともと、自分という自己意識を排除したところに成り立つ世界なのである。

もどる。             つづく。