「観念の世界」

〜3、印象。


カテゴリーによる論理の人為的な分類は、あくまでも観念的な世界であって、現実の実体というのは、それとはまったく別の世界である。それは人間のかかわり方、その見かた、考え方、求めるもの、のぞむものによって、様々に常に変化しているのである。地域的にも歴史的にもそうである。これが「時代」という概念であって、人間はそこから抜け出ることがないのである。そしてまた、この「時代」という概念から出たところに人間という概念もまた、成り立たないのである。

現実の世界というのは、人間のかかわり方によって常に変化し、移り、映し出され、うつろいでいる。カテゴリーなどというのは、人間の観念の世界であって、現実とは別の世界なのである。だから現実に異和感を感じる。すれ違い、ズレ、軋(きし)み、ゆがみ・・・等々が生じてくる。

わけの分からないシルエットやマボロシ、幻覚を見る。あるいは、「見た」と思えてくる。これは、人間の観念の世界の中で、現実にはないものを見ているのである。だからそれが、歪みや軋(きし)み、シルエットにしか見えないのである。

知らないもの、現実にないものを、それが何かと特定することなど出来ないのである。観念の思い込みだけの世界では、細部は見えて来ず、何かを印象するような、象徴としてしか見えて来ないのである。しかし、たしかに見えるのである。

もどる。             つづく。